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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)6975号 判決

原告

有山京子

右訴訟代理人弁護士

大原篤

大原健司

播磨政明

泉秀一

被告

近畿電気工事株式会社

右代表者代表取締役

岡本繁一

右訴訟代理人弁護士

野村正義

藤田良昭

根井昻

主文

一  被告は、原告に対し、九九六万三二七一円及びこれに対する昭和五八年二月五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三五四六万〇二〇二円及びこれに対する昭和五八年二月五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五八年二月五日午前一〇時〇八分ころ

(二) 場所 奈良県生駒市西旭ケ丘二八一四番地の三先路上(交通整理の行われていない三差路交差点。以下、「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 電気工事作業用普通特殊車(登録番号、奈八八さ二一二三号。)

右運転者 訴外中川彰雄(以下、「訴外中川」という。)

(四) 態様 訴外中川は、加害車両を運転して本件交差点に至る東西道路を東進し、同交差点で右折して南北道路を南進しようとした際、折から南北道路を北進し、本件交差点に進入してきた原告運転の原動機付自転車に自車を衝突させ、原告をその場に転倒させた(以下、「本件事故」という。)。

(五) 受傷 原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型、右側頭部血腫、右肩甲骨烏口突起骨折、頚部捻挫等の傷害を負った。

2  責任原因

被告は、本件事故当時加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により後記損害を賠償する責任を負うものである。

3  原告の損害

(一) 入通院の経過

原告は、本件事故によって受けた傷害の治療のため、昭和五八年二月五日から同六日まで学芳会倉病院に、同日から同年五月三日まで沢井病院に入院した(入院日数合計八八日)が、退院後も頭痛・頚部痛・右肩関節痛・右上股の麻痺・抑うつ気分・記銘力障害等の身体精神症状があるため、同月四日から昭和六〇年一月二二日まで同病院に通院し(実通院日数三五五日)、さらに、右外傷に起因する精神症状の治療のため、昭和五八年六月一一日から同六〇年一月一九日まで胡内医院に通院した。

(二) 治療費

二九四万二一七五円

前記入通院治療のために支払った治療費は合計二九四万二一七五円である。

(三) 入院雑費 八万八〇〇〇円

前記八八日間の入院期間中に支出した雑費は、一日につき一〇〇〇円、合計八万八〇〇〇円である。

(四) 付添家政婦のための費用

三七万五九八〇円

原告は前記入院期間中付添看護を必要とする状態にあったところ、その間職業的家政婦に依頼して付添看護をしてもらい、そのための費用として合計三七万五九八〇円を支出した。

(五) 通院交通費

四七万六六三〇円

前記通院のために支払った通院交通費は合計四七万六六三〇円である。

(六) 休業損害

七二五万八六七一円

原告は、本件事故当時洛陽女子高校のピアノ講師として年一一〇万〇一二五円の給与を得ていた他に、自ら自宅の他四カ所でピアノ教室を開設して六四名の生徒を教え、年額三八七万七二五〇円の教授料収入(月謝)を得ていた(以上合計四九七万七三七五円)ところ、本件事故による受傷のため、症状固定までの二五か月間、ピアノ教授の仕事に従事することができなくなり(洛陽女子高校は昭和五八年三月に退職)、右収入を得ることができなくなったものであるから、その間の休業損害は、経費として総収入額の三〇パーセントを控除した残余の七二五万八六七一円である。

(算式)

4,977,375×(1−0.3)÷12×25

=7,258,671

(七) 将来の逸失利益

二二一四万五〇五八円

原告が本件事故によって受けた傷害は、前記入通院治療によっても完治せず、右肩の三角筋、右手固有筋、右手指屈筋の不全麻痺、右肩の機能障害等の後遺障害を残存させたまま昭和六〇年二月末日その症状が固定した。

右後遺障害の程度は、自賠法施行令二条別表に定める後遺障害等級表の第七級四号(「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」)に該当するところ、本件事故前原告がピアノ教師であったことは前記のとおりであって、右手の機能障害がピアノ教師にとって致命的な職業上の障害であることは明らかであり、そのことはもっぱら教授のみを職業とする場合であっても異なるところはない。したがって、原告のピアノ教師としての労働能力は、前記後遺障害のため一〇〇パーセント喪失したものとみても不自然ではないのであって、控え目にみても五六パーセント、一〇年間喪失したものというべきであるから、その期間中に取得しえたはずの所得総額の五六パーセントからホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、二二一四万五〇五八円となる。

(算式)

4,977,375×0.56×7.9449=22,145,058

(八) 慰藉料 八六三万円

原告が本件事故によって受けた精神的・肉体的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額としては、入院日数、通院日数、後遺障害の程度その他諸般の事情を考慮して、八六三万円とするのが相当である。

(九) 弁護士費用 二〇〇万円

原告は本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として二〇〇万円を支払うことを約した。

4  損害の填補

原告は、被告から本件損害賠償として七七〇万六三一二円及び被告の加入していた自賠責保険から保険金として七五万円、合計八四五万六三一二円の支払いを受けた。よって、原告は被告に対し、右3(二)ないし(九)の損害額の合計四三九一万六五一四円から4の八四五万六三一二円を控除した残額三五四六万〇二〇二円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年二月五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び同2の事実は認める(ただし、訴外中川が加害車両を原告車に衝突させた事実はなく、事故直前訴外中川が原告車を認めて停車したところへ原告車の方から衝突してきたものである。)。

2  同3(一)の事実のうち、原告が受傷の治療のため入院及び通院したことは認めるが、その余は知らない。

3  同3(二)の事実のうち、原告が治療費として二八〇万四八七五円を支払ったこと、同3(四)の事実及び同3(五)の事実のうち原告が交通費として四万二七四〇円を支払ったことは認めるが、その余は知らない。

4  同3(六)の事実のうち、原告が事故当時ピアノ教師をしていたことは認めるが、その余は知らない。かりにピアノ教室を開いて生徒を教えていた事実があったとしても、その教授料収入の額はその主張の額ほど高額ではない。また、同(七)の事実も知らない。かりにそのような後遺障害が残存したとしても、それは自賠法施行令二条別表に定める第一四級一〇号(「局部に神経症状を残すもの」)に該当する程度のものであり、症状固定時期も、遅くとも昭和五九年三月ころである。したがって、その程度のことならば、ピアノ教師の仕事になんら支障はないはずであって、本件事故後原告がその仕事を止めたというのであれば、それは結婚(昭和五九年三月二六日)及び出産(昭和六〇年八月八日)のためであり、本件事故による受傷のためではない。かりに本件事故のためであるとしても、原告がピアノ教師を続けられないことの一因はうつ気分等の精神症状(いわゆる賠償性神経症)にあるのであるから、本件事故のみをもってその原因とすべきではない。

5  同4の事実は認める。

三  抗弁(過失相殺)

原告は、原動機付自転車を時速二五キロメートルから三〇キロメートルの速度で運転して南北道路を北進し、本件交差点に差しかかろうとしたが、その際、交差点の手前約二〇メートルの地点で高さ2.9メートルの加害車両を発見することができたはずであるのに、脇見をして前方を注視していなかったため、その直前までこれに気付かないでそのままの速度で走行し、直前になって加害車両を発見してあわてて急制動の措置をとったが間に合わず自車を加害車両に衝突させたものであるから、本件事故の発生については被害者である原告にも過失があるものというべく、損害額を算定するにあたっては、原告のこの過失が斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。原告は時速約一五キロメートルの速度で前方を注視しながら自車を走行させていたものである。ただ、本件交差点の手前、原告の進行方向左側にハイルーフの自動車が停車しており、このために視界が遮られて加害車両の発見が遅れたにすぎない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件事故の発生及び責任原因

請求原因1及び2の事実(ただし、訴外中川が加害車両を原告車に衝突させたとの点は除く)は、いずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右の点を認めることができる。〈証拠〉中右認定に反する部分は採用しがたく、他にこれを動かすに足りる証拠はない。

そうすると、被告は自賠法三条に基づき、本件事故によって原告の被った損害を賠償する義務を負うものというべきである。

二損害

1  入通院治療の経過

請求原因3(一)の事実のうち、原告が本件事故による受傷の治療のため入院及び通院したことは当事者間に争いのないところ、成立に争いのない甲第一二号証、同乙第三五号証及び原告本人尋問の結果によれば、右入通院の状況は原告主張のとおりであることが認められる。

2  治療費 二八〇万四八七五円

原告が右入通院治療のための治療費として二八〇万四八七五円を支払ったことは当事者間に争いがないが、残余の一三万七三〇〇円についてはこれを認めるに足る証拠がない。

3  入院雑費 八万八〇〇〇円

原告は右八八日間の入院期間中、経験則上一日当たり一〇〇〇円と認められる雑費、合計八万八〇〇〇円を支出したものと推認するのが相当である。

4  付添家政婦のための費用

三七万五九八〇円

原告が右入院期間中付添看護を必要としたことは前記傷害の程度等に徴してこれを肯認することができるところ、原告が現実に職業家政婦を依頼しそのための費用として三七万五九八〇円を支出したことは当事者間に争いがない。

5  通院交通費 四万二七四〇円

原告が前記通院のための交通費として四万二七四〇円支出したことは当事者間に争いがないが、残余の四三万三八九〇円についてはこれを認めるに足る証拠がない。

6  休業損害及び逸失利益

(一)  症状固定の時期及び後遺障害

原告が本件事故によって受けた傷害の治療のため昭和六〇年一月二二日まで沢井病院に通院し、同年同月一九日まで右外傷に起因する精神症状の治療のため胡内医院に通院していたことは前記認定のとおりであり、それ以後原告が右各病院で治療を受けたことを認めるに足りる証拠はないので、それぞれの治療は右各最終通院日をもって終了したものというより外ないところ、〈証拠〉によれば、右入通院治療を受けたにかかわらず、原告の右上肢の症状は完治するに至らず、右肩の運動制限(側方挙上が正常可動範囲の三分の二、後方挙上が一〇分の七)、右肩の三角筋の筋力、右手固有筋力(手の指を外側に開く力)及び右手指屈筋力(五本の指でものを挟む力)の三〇ないし四〇パーセント低下、右手の握力の約五〇パーセント低下の後遺障害を残したまま、遅くとも昭和六〇年二月末日にはそれ以上治療しても治療効果を期待しえない状態、すなわち症状固定の状態に達したことが認められる。もっとも、〈証拠〉中に、原告の右症状の固定日は昭和六一年七月一〇日である旨の記載が存在するけれども、同診断書が原告の治療が終了した日から一年半も経過した時点で作成された書面であることから、右症状固定日の記載に診断書の作成日付と一致させただけのものとみるのが相当であり、前記のとおりの原告の治療経過に照らしても、これが右認定を動かすに足りるものということはできず、他に右認定を左右するに足りる証拠は見当たらない。

なお、前掲採用の各証拠によれば、原告は、沢井病院に入院した直後頃から継続して頭痛を訴えるようになったが、退院後もこれがさらにひどくなり、昭和五八年五月一八日の脳波検査の結果、ヒステリー性のパターンを示す所見がみられ、正常と異常との境界にある旨の診断がなされたこと、その後も頭痛や、イライラ、無気力が続き、同月三〇日には「うつ状態、交通事故による外傷後のノイローゼ(神経症)」との診断が下されるに至ったため、前記のとおり、同年六月一一日から主治医の紹介で精神科の胡内医院に通院するようになったが、頭痛やうつ状態は一向に改善されなかったこと、その後原告は昭和五九年三月、延び延びになっていた結婚式を挙げたが、それ以降も精神状態の不安定は収まらず、何もする気が起こらないことから、食事も夫の実家で取り、半年後には姑と同居するようになったこと、原告のこのようなうつ状態は、原告が胡内医院での治療を終了した昭和六〇年一月一九日頃も未だ解消していなかったが、その後次第に改善され、日常生活に支障をきたさない程度にまで回復してきたことがそれぞれ認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告の右精神症状もまた、本件事故に起因するものと認めるのが相当である。

(二)  休業損害

六七〇万〇六四二円

原告が本件事故当時ピアノ教師をしていたことは当事者間に争いのないところ、〈証拠〉によれば、原告は、昭和五四年に相愛音楽大学を卒業し、本件事故当時は私立洛陽女子学院の講師として週四日程度午前中のみ同学院に勤務するかたわら、自宅ほか四か所にピアノ教室を開設して合計六四名の生徒を教え、相当額の教授料(月謝)収入を得ていたことが認められるところ、右1において認定の事実関係からすれば、本件事故の日から右症状固定の日である昭和六〇年二月末日までの間、ピアノ教師としての仕事に就くことができなくなったものといわなければならず、また、右証拠によれば、そのため、洛陽女子学院の講師を続けていくことができなくなって同五八年三月末日限り同学院を退職するのやむなきに至り、また、ピアノ教室での授業も停止せざるをえなくなったことが認められるので、原告としては、その間、少なくとも事故当時得ていた収入の額に相当する利益を休業によって喪失したものということになる。

そこで、原告が本件事故当時得ていた収入の額について検討するに、〈証拠〉によれば、前記学院から支給される給料年額一一〇万〇一二五円とピアノ教室の教授料(月謝)収入年額三四二万七五〇〇円の合計額四五二万七六二五円であり、かつ、教授料収入についてはその三割相当の経費を要し、結局年収は三四九万九三七五円であったことが認められる。もっとも、甲第九号証の一ないし五二によれば、右月謝袋に記載された昭和五七年度の月謝の合計額は三八七万七二五〇円であるかのごとくであるけれども、右月謝袋記載の月謝には昭和五八年度分のものもかなり含まれているほか、その記載が一見して不正確なものもいくつか混入しているなど右月謝袋の記載は必ずしも昭和五七年度の原告のピアノ教室での教授料収入を正確に表示しているものとは言い難いので、これが右認定を動かすに足りるものということはできず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、原告としては本件事故の日から前記症状固定の日である昭和六〇年二月末日までの間、年額三四九万九三七五円の割合による利益を喪失したことになるようであるが、〈証拠〉によれば、原告は事故後の昭和五九年三月二六日に結婚し、同六〇年八月八日には長男を出産していること、結婚・出産後は、従前のように高校の講師として勤務するかたわら自宅のほか四か所にピアノ教室を開設して六四名もの生徒を教えることはかなり困難であることがそれぞれ認められるのであって、これらの事情を考慮すると、結婚後における原告のピアノ教室での教授料収入は、結婚の翌月から少なくとも二五パーセントは減少したものと認めるのが相当である。そこで、昭和五八年二月五日(〈証拠〉によれば、それ以前の同二月分の給料一万三六〇〇円は支払ずみであることが認められる。また、昭和五八年二月一日から同月四日までのピアノ教室の収入は、日割り計算をすると、二万六二九三円であり、この金額の収入があったものと推認するのが相当である。)から同五九年三月末日までは結婚前の収入三四九万九三七五円を、同年四月一日から同六〇年二月末日までは結婚後の収入二八九万九五六二円を基礎に原告の被った休業損害を算出すると、六七〇万〇六四二円となる。

(算式)

(結婚前の収入)

1,100,125+3,427,500×(1−0.3)

=3,499,375

(結婚後の収入)

1,100,125+3,427,500×(1−0.25)×(1−0.3)=2,899,562

(休業損害)

3,499,375÷12×14+2,899,562÷12×11−(13,600+26,293)=6,700,642

三将来の逸失利益

四六〇万七三四六円

原告が本件事故によって受けた傷害が完治せず、その右上肢に後遺障害を残す結果になったことは前記認定のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、原告は右後遺障害のためピアノの演奏技術が低下し、高度な技術を要する曲を演奏することができなくなったこと、本件事故後、前記認定の精神症状の発病もあって、ピアノ演奏の意欲を失った時期もあったが、それも次第に回復し、従前演奏したことのある歌曲を弾くなどしてピアノ演奏を楽しむまでに至っていること、原告の現在の演奏技術でも、小さい子供にピアノ演奏の技術を教えるにはさして支障とはならないことがそれぞれ認められるのであって、以上認定の事実を総合して考えるならば、前記後遺障害により原告の稼働能力は二〇パーセント喪失したものと認めるのが相当である。さらに、原告の精神症状が漸次快方に向かい、日常生活に支障を来さない程度にまで回復してきていることは前記認定のとおりであって、このような事情やその他諸般の事情を考慮すれば、右稼働能力の喪失期間も病状固定時から一〇年程度と認めるのが相当である。

そこで、右期間中に稼働能力の喪失によって失うことになる利益の総額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、その逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、四六〇万七三四六円となる。

(算式)

2,899,562×0.2×7.9449=4,607,346

7 慰藉料 三〇〇万円

前記認定の原告の傷害・後遺障害の程度その他証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、原告が本件事故によって受けた精神的・肉体的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料としては、三〇〇万円が相当である。

以上合計一七六一万九五八三円

四過失相殺

本件事故の態様は前記一に説示したとおりであるところ、原告が本件交差点の手前で脇見をしていて前方を注視していなかったとの点については、〈証拠〉中にそれに沿うかのような供述記載があるが、〈証拠〉に照らしてただちに措信することができず、しかも他にこれを認めるに足りる証拠は見当たらない。また、〈証拠〉によれば、原告が本件交差点の手前二〇メートル前後の地点に差しかかった際、すでに加害車両が本件交差点手前に来ていたことを認識しえたことが窺われないではないけれども、右証拠によって認められる現場の状況からして、これが原告車の進路を遮るようにして本件交差点に進入してくることまで予見しえたものと認めるのは困難であるから、原告が減速・徐行等の措置をとらないまま本件交差点に進入したからといって、斟酌するに値するほどの過失があったものとすることはできない。

そうすると、被告の過失相殺の主張は採用するに由ないというべきである。

五損害の填補

請求原因4の事実については当事者間に争いがない。

六弁護士費用 八〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告が本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として相当額を支払うべきことを約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は八〇万円と認めるのが相当である。

七結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、前記二の2ないし7の損害の合計額から五の既払額を控除した残額に六の弁護士費用を加算した九九六万三二七一円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年二月五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官田邉直樹 裁判官真部直子)

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